2024年5月5日日曜日

読書の仕方 松陰先生と私

 

先の記事で重厚な本はしっかりと読まないと分からない、と述べた。 
重厚な本 いろいろあるが、武士道もその一つ。
これは、sns の書き込みを読むように読める物ではない。
しっかりと体に刻みつけるように読まなくてはいけない。 
どうするか、というと私の提案だが、「やわらかな暗記」も併せて行うべきだ。
 そうして、ゆっくりとであるが着実に進まなくてはならない。 
 その例を示す。
 
まず、英文訓読法でしっかりと理解する。

そしてこれを埋められるように努力する。その過程で、この難しい英文も、そしてそれと同じくらい難しい日本語訳も、あまり見慣れていないかもしれない、正漢字、歴史的仮名遣いにも慣れてくる。 
 このような過程を経て、「教養」というものが身につくのである。
 「教養」が身につくとどういうことが起こるか、というと、世の中の真理を見通す力が身につくのである。
 そのような力を身につけることは、武道の稽古をすることと同じ。
 このような「稽古」こそが身を助け、人生を大きくするのである。 

吉田松陰先生も似たようなことをおっしゃっている。
 

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