2024年3月14日木曜日

計篇1-2 故に之に經してするに五事を以てし

故に之に經してするに五事を以てし 之を校するに計を以てして 其の情を索む 
一に曰く道 二に曰く天 三に曰く地 四に曰く將 五に曰く法

 
 

橋本和訳
故に敵と味方の戦力を測るには後に述べる5つの事項を用いる。そしてこれらを様々な角度から比べる。そして、敵、味方の実情を探るのである。
それらとは、(1) 道  (2) 天  (3) 地  (4) 将  (5) 法、である。
註)「校する」というのがピンと来ないところであるが、これは単純に「比べる」という意味。
「計する」というのは、単純に「計算する」という意味。
 
 
 
橋本英訳
Therefore, the following five items will be used to measure the strength of the enemy and the allies.  These are then compared from various angles.  Then, the actual situation of the enemy and the allies will be investigated.  
These are: (1) Way; (2) Heaven; (3) Earth; (4) The Commander; (5) Law. 
 
 
 
 



 
 
LIONEL GILES 訳
The art of war, then, is governed by five constant factors, to be taken into account in one’s deliberations, when seeking to determine the conditions obtaining in the field.
These are: (1) The Moral Law; (2) Heaven; (3) Earth; (4) The Commander; (5) Method and discipline. 
 




橋本註:LIONEL GILES訳が分かりにくいので、Griffithの訳も見てみた。こちらの方がすっきりとしている。
 
Griffithの訳
 
 
  
 

 

 

 
S. Griffithについて
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_B._Griffith
サミュエル・ブレア・グリフィス2世(Samuel Blair Griffith II、1906年5月31日 - 1983年3月27日)は、アメリカ海兵隊の准将。米国海軍兵学校を卒業後、1929年に海兵隊に入隊。第二次世界大戦の太平洋戦線で海兵隊部隊を指揮し、1956年に退役。退役後、グリフィスは戦史に関する数冊の本と数多くの記事を執筆し、広く講演活動を行った。1983年3月27日、ロードアイランド州で死去。
 
生い立ちから第二次世界大戦まで
グリフィスは1906年5月31日、ペンシルベニア州ルイスタウンに生まれた。1929年にアメリカ海軍兵学校を電気工学の学士号で卒業すると、アメリカ海兵隊の少尉に任命された。第二次世界大戦前には、第二次ニカラグア作戦に参加したほか、中国、キューバ、イギリスで勤務した。1935年から1938年まで北京のアメリカ大使館で中国語を学び、中国語をマスターした。
第二次世界大戦中、イギリスとスコットランドでイギリスのコマンドー訓練を見学した後、第1海兵師団に戻り、ガダルカナルで第1海兵レイダーズ大隊の幹部、後に司令官を務め、ニュージョージアでの作戦では第1レイダー連隊の幹部も務めた。1942年9月、ガダルカナルでマタニカウ川付近での戦闘中、「極めて英雄的な行為と勇気ある職務への献身」により海軍十字章を受章。この戦闘でグリフィスは負傷し、パープルハートを授与された。7月のニュージョージアでの活躍により、殊勲十字章を授与された。
 
戦後のキャリア1946年から1947年まで中国の青島で幕僚を務め、激化する中国内戦を最前列で観察した。第二次世界大戦後の華北占領に参加し、第3海兵連隊、後に青島駐留米海兵隊を指揮した後、1947年から1950年までニューポートにある米海軍大学校の学生、教員を務めた。1951年から1952年まで大西洋艦隊海兵隊参謀長、1953年から1956年まで欧州司令部参謀。25年以上の現役生活を終え、1956年に海兵隊を退役した。
 
退役後の経歴退役後、グリフィス将軍はオックスフォード大学(ニューカレッジ)に入学し、1961年に中国軍事史の博士号を授与された。第二次世界大戦前にさかのぼる中国と中国語への関心から、1961年には毛沢東の『ゲリラ戦について』を、1963年には孫子の『孫子の兵法』を翻訳した。後者は単なる翻訳ではない。孫子の伝記、本文の変遷、戦国時代、古代の戦争、毛沢東の軍事思想との比較などの章では、『孫子の兵法』に関する中国古代の注釈が数多く取り入れられている。この言葉選びは、翻訳の苦労と、著者のガダルカナルやニュージョージアでの経験を想起させるものだろう。他の『孫子』翻訳者には、グリフィスの長い軍事経験から得られた洞察が欠けている。 

また、『ガダルカナルの戦い』(The Battle for Guadalcanal)、『中国人民解放軍』(The Chinese People's Liberation Army)、そして最後の主著となった独立戦争に関する本『In Defense of the Public Liberty』も執筆している。外交問題評議会(Council on Foreign Relations)の中国研究(China Study)研究員であり、ロンドンの国防研究所(Institute for Defense Studies)のメンバーでもあった。グリフィス将軍は、『ニューヨーカー』、『サタデー・イブニング・ポスト』、『米海軍研究所紀要』、『タウン&カントリー』、『海兵隊報』、『フォーリン・アフェアーズ』などの雑誌に幅広く寄稿。また、陸軍士官学校、米国陸軍士官学校、外交政策協会、海兵隊学校などでも広く講義を行っている。グリフィス将軍は、第1海兵襲撃隊協会と第1海兵師団協会の終身会員であった。1983年3月27日、ロードアイランド州ニューポートで突然死去。
 
 




 

 

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